■さようならフランソワーズ・サガン・・・-続き-
vagabond の 徒然なるままにがトラバしてくれたので、トラバ返しという事もあり・・・
何かにつけ、彼女の死はショックでした。
1975年に渡仏を決めたのは、本当はJAZZをやりにアメリカへ行きたかったのですが、当時アメリカの物価が高すぎ、親と交渉して次の国にフランスを選んだきっかけのひとつになったのがサガンだったんです。なにしろ、16歳で初恋、京都へ駆け落ち、その後新幹線で名古屋を素通りして東京の伯父のところへ(家出10日間・・・・)。高校も直ぐやめたかったのですが、いろいろ親と話し合い・・・そんな、悶々とした日々を過ごしている時にめぐり合ったのがサガンの作品でした。数冊をむさぼるように読み、フランス行きを決めました。
もちろんそれだけが渡仏の理由ではありませんが・・・
先日、サガンの最後のインタビューをTVで観ていろいろ感じました。サガンはある意味では僕の青春でした。フランスに着てしばらくして、フランス語が分かる様にになった頃サガンがインタビューで今何が欲しいですか?と訊かれて・・・
「ソニーのラジカセが欲しいわ!」と答えてました。
はっきりいってかなりショック!!既にこの当時からサガンはお酒、麻薬そして博打に明け暮れ見も心もそして財産も・・・ボロボロだったんですね。彼女の描いた世界とはかけ離れれ・・・
前にも書きましたが、サンジェルマンで2回ほど彼女を見かけと言うより1回目はある夏の夕暮れ、車でサンジェルマンに戻ってきた時、よろよろと”おばさんが”・・・危ないな!と思った瞬間・・・サガン!!だったんです。
もう一度は、ラスパイユ通りにある本屋さんの前でサインを求められているところでした。
最後、オンフルールの病院で・・
「タバコくれない?」といわれた患者が「それが彼女と交わした最後の会話よ」って・・・しみじみと語っていました。
あらためて・・・・合掌

「悲しみよこんにちは」や「ブラームスはお好き」などの小説で有名な、フランスを代表する女流作家フランソワーズ・サガン(本名フランソワーズ・クワレーズ)さんが24日、仏北西部オンフルールの病院で心不全のため死去した。69歳だった。 ご冥福をお祈りします。... more


Bonjour Tristesse オットー・プレミンジャー監督がフランソワーズ・サガンの小説を映画化しました... more